大崎市松山出身の フランク永井 さんをご存知でしょうか?昭和を代表する歌手として、あの石原裕次郎さんと並び、歌謡界の新しい時代を切り開きました。
そんなフランク永井さんの歴史や功績は「 フランク永井展示室 」で今もなお受け継がれています。
筆者は現在20代で、このフランク永井さんがどういった方なのかは詳しく知りませんでした。しかし、展示室で彼について知ったとき、昭和歌謡世代を生きた祖母に当時のフランク永井さんの様子を聞きたい!と感じました。
大崎地域にこんなに素晴らしい方がいたなんて。この記事では、歌謡界の大スター・フランク永井さんについて、ヒットへの道のりや功績 についてお伝えしていきます。
※館内は撮影禁止ですが、この記事は管轄施設の特別な許可を得て執筆・撮影しています
松山ふるさと歴史館
まず、フランク永井さんを紹介するうえで重要となる施設をお伝えします。それが『松山ふるさと歴史館』です。
大崎市の歴史や文化遺産を収集した歴史館で、中には「 歴史展示室 」と「 フランク永井展示室 」の2つの部屋が存在します。
フランク永井展示室では大崎市の歴史と松山出身の国民的歌手 “ フランク永井さん ” について知ることができ、毎年多くのファンが訪れています。
松山駅から約2kmでアクセスも良く、すぐ隣には『酒ミュージアム』もあるので、各施設をまわるのも楽しいですよ。
歴史展示室
1989年に開館し、展示室自体にも長い歴史があります。現在は松山町から大崎市が合併され、市で運営されています。
町の古墳から発掘された出土品や兜(かぶと)や鎧(よろい)、美術工芸品が数多く展示。
とくに松山地域の領主であった仙台藩の茂庭家に関連した資料が豊富です。武将好きの方におすすめですね。
大崎地域にゆかりあるアイテムが並んでいます。特に刀剣や鎧、瓦などが迫力満点です!
フランク永井展示室
当記事で取り上げる“フランク永井さん”について知ることができるのが、この「 フランク永井展示室 」です。
数々の功績の証や愛用品などが数多く展示されています。
室内では当時の映像が流れおり、歌声を聞きながら閲覧することができます。テレビの前には椅子が並んでいるため、ゆっくりと昭和の思い出に浸ることも。
彼に魅了された長年のファンが現在でもこの場を訪れます。
フランク永井さんのポイント
- 昭和歌謡界を代表する国民的歌手
- 大崎市松山出身
- 「低音の魅力」と呼ばれ、語りかけるような歌い方で人々を魅了
- NHK紅白歌合戦への出場や日本レコード大賞など功績をのこす
- 大崎市の「特別功績者」第1号に選ばれる
フランク永井さんヒットへの道のり
1932年に松山町(現大崎市松山)に生まれたフランク永井さん。幼少期から歌手に強い憧れを持ち上京しました。
日本テレビの『素人のど自慢』番組に出演し、年間ベストワンに選ばれたのをきっかけにデビューを果たします。デビュー曲は『恋人よ我に帰れ』。
彼の低音は多くの人々を魅了しました。
室内で流れている彼の歌声を聞けば、彼を知らない世代の方々にもその魅力が伝わるかもしれません。
もともとジャズを得意としていましたが、なかなかヒットに恵まれず歌謡曲に転向。
1957年に有楽町そごう(東京の大きな百貨店)のキャンペーンソングを担当すると、その曲が空前の大ヒットとなります(ヒット曲『有楽町で逢いましょう』)。
その後、契約会社の歌謡曲レコード売上で『夜霧に消えたチャコ』が 年間1位を獲得、トップ10位のうち5作が彼の曲 という、とんでもない記録を作り上げました。
石原裕次郎さんや三船浩さんとともに 低音ブームを招き、都会派歌謡ムードの新しい時代を築いていきました。
(※筆者の祖母と母に当時の様子を聞いたところ、やはりとんでもなく有名な方で、テレビに引っ張りだこだったそうです)
フランク永井さんの功績
その後も数々のヒット曲を打ち出します。デュエットソング『東京ナイト・クラブ』は2000年代でも歌い継がれるほど。
なかでも1966年に発表された 『おまえに』 は「大阪ろまん」のB面(レコードは表をA面、裏をB面とし1曲ずつ収録されていた)に収録された曲だったものの、人気が爆発 し、6年後にはA面として単独で再発売されます。
その人気は衰えることを知らず、さらに5年後には再録音されて新規販売。
現在でいう“カップリング曲”がヒット曲となり、長年愛され続けた。彼の歌声がどれだけの人々を魅了したのかが、この経歴でよく分かります。
ふるさと歴史館の外には歌碑がありますが、全国のゆかりある場所にも永井さんの曲の歌碑が建てられています。
また、曲のヒットに伴い、テレビ出演の機会も多くありました。
日本レコード大賞1回・歌唱賞2回・特別賞3回を受賞。
NHK紅白歌合戦には第8回~第33回の連続26回も出場 しました。
この記録は当時の紅白歌合戦最多出場者となります。彼の功績は展示室に飾ってある数々の盾やトロフィーを見れば一目瞭然です。
日本だけではなく、海外公演も行うなど幅広い活動もしていました。
フランク永井さんを大崎市の「特別功績者」第1号に
地元の繋がりも大切にしていたフランク永井さん。2009年には 大崎市の特別功績者第1号に 選ばれました。
歌が上手いだけではなく、人懐っこい性格と天狗になることない素朴な態度も人気のひとつ。出身地である松山町も当時は大きく盛り上がったのではないでしょうか。
現在でも毎年「 フランク永井歌コンクール 」が開催されています。
このコンクールは、フランク永井さんの曲を市内外の参加者がカラオケ形式で歌唱。優勝者にはトロフィーが送られます。
今は亡き フランク永井さんの曲、そして彼の大きな存在を受け継いでいく活動が今もなお続いています。
参考サイト
コンクールやフランク永井さんについて
http://frank-m.org/
フランク永井さんを求め多くの人が訪れている
展示室の入り口付近には訪問者が想いを自由に書き込めるノートが設置されています。近日の日付でも記入がありました。
中を見てみると、展示室の感想やフランク永井さんとの思い出話が多く見受けられます。
中でも筆者が共感したのは「両親(祖父母)を連れてきた」といった子供や孫の書き込みです。
“ 永井さんの歌が好きだった家族のために、この展示室に連れてやってきた…昔懐かしの品々や歌声を聴かせることができて良かった ” といった感想がいくつもありました。
筆者の祖母も70代で、この展示室があると伝えたときには、目を輝かせて「行きたい!」と意思表示をしていました。
フランク永井展示室は決して大きなスペースではありませんが、家族の繋がりをより深め、世代を超えて繋がりを持たせてくれる素敵な場所だと感じました。
フランク永井さんまとめ
今回は大崎市松山出身の歌謡界大スター、フランク永井さんについて取材しました。
フランク永井さんまとめ
- 昭和歌謡界を代表する国民的歌手
- 大崎市松山出身
- 「低音の魅力」と呼ばれ、語りかけるような歌い方で人々を魅了
- NHK紅白歌合戦への出場や日本レコード大賞など功績をのこす
- 大崎市の「特別功績者」第1号に選ばれる
彼のゆかりの品や功績を残している「フランク永井展示室」には、現在では貴重な資料が展示されています。
大崎地域の歴史をたどると、こんなにも日本中を沸かせた人物がいたことに気づけました。
後日、昭和歌謡曲が大好きな祖母をこの展示室に連れてこようと思います。世代を超えて話題になるって素敵ですよね。
大崎地域のみなさん、自分の町が生んだ大スターの軌跡をぜひその目と耳で確かめてみてくださいね!
フランク永井展示室基本情報
施設名 | フランク永井展示室(大崎市松山ふるさと歴史館内) |
住所 | 〒987-1304 大崎市松山千石字松山428番地 |
電話番号 | 0229-55-2215 |
開館時間 | 9:00~17:00 |
休館日 | 月曜日(祝日の場合はその翌日) 年始年末 |
入館料 | 一般210円(団体160円) 高校生以下100円(団体80円) ※20人以上は団体扱い |
コメント