今回の大崎歴史街道では「小野小町の墓」に行って参りました!

皆さんが一度は名前を聞いた頃がある「古今和歌集」。大体の人は、歴史や古典等の授業で聞いたことがあると思います。この本の中に出てくる人物の中で、皆さん一度は聞いたことがある「小野小町」。
彼女は、歌人として有名というだけでなく絶世の美女だったと伝えられています。この小野小町のお墓が、大崎市にあるという事で取材に行って参りました!!

なぜ大崎市に彼女のお墓があるのか?
彼女は都での華やかな生活を送るも、独身のまま年老いていきました。やがて宮からも追い出されてしまった彼女が故郷である秋田へと帰る途中、新田夜烏の里(現在の大崎市新田夜烏裏)にて病に倒れてしまいます。
その後彼女は、病気平癒の祈願をかけ百日参りを行いましたが、明日が満願成就という日に亡くなってしまいました。それを見た村人たちが、寂しい最期を遂げた彼女を憐れんで墓碑を建立したと伝えれらています。
小野小町とは?
小野小町は、絶世の美女といわれながらも、生没年などはすべて不詳という謎に包まれた平安時代の女流歌人です。
彼女は「六歌仙」(ろっかせん)と呼ばれる古今和歌集で代表的な歌人に入る唯一の女性で、歌才にあふれた人でした。恋多き女性とも言わた彼女の歌には、華やかさのなかにも揺れ動く心情や、情熱的な恋心を歌ったものなど、男性との恋愛経験を表したものが多く含まれています。
小野小町の謎
このように、平安時代を代表する歌人でもある小野小町ですが、その人物像には様々な謎があります。その中の一つが、「どこで生まれたのか分からない」です。
彼女が歌人として活躍している際に生活していたのは都(現在の京都)とされていますが、彼女が生まれた場所がどこであるか分かっていません。
しかし、様々な伝承から、現在の秋田県湯沢市小野であるという説が強いとされています。しかし、これも定かではありません。そのため、彼女の誕生の地と言われている場所は、秋田県以外にも京都府や熊本県など様々な説が存在します。
絶世の美女「小野小町」の生活とは
絶世の美女とも謳われる小野小町。その彼女の生活はいったいどのようなものだったのか。
それは、『古今著門集』(ここんちょもんじゅう)と呼ばれる本にて伝えられています。
その中には、「衣には錦繍のたぐひを重ね、食には海陸の珍をととのへ、身には蘭麝を薫じ、口には和歌を詠じて、よろずの男をばいやしくのみ思ひくたし」と伝えられています。
この内容を翻訳すると、「毎日美しい衣装をまとい、普通ではなかなか手に入らないような食材をふんだんに使った食事をし、身体をいい香でつつみ、イケメン男子に囲まれ、毎日好きな歌を詠んで過ごしていた」という内容になります。
まさに美人ならではの華麗な生活を送っていたということでしょう。
小野小町はどんな歌を詠んだのか
小野小町は、その美貌から大勢の男性から言い寄られていたとされています。そのため、現代に残っている歌の多くが恋愛についての歌となっております。

  • 「思ひつつ寝ればや人の見えつらむ夢と知りせば覚めざらましを」
  • 翻訳:恋い慕う人の事を考えながら、眠りにつくと夢の中にまで、その人が出てきてしまった、夢だと分っていれば目を覚まさないのに

  • 「限りなき思ひのままに夜も来む夢路をさへに人は咎めじ」
  • 翻訳:貴方を恋い慕う想いは限りなく、夜になったら、夢の中を歩いて、あなたに逢いに行きましょう。まさか、夢路までも人は咎めないでしょう。

総評
今回取材にお伺いした「小野小町の墓」は、皆さん一度は聞いたことがある歌人「小野小町」の墓とされています。しかし、その場にあるのは墓碑とここに建立された伝承が書かれている看板のみが立っています。ですが、「小野小町」という人物にゆかりのある地を訪れる方にとっては、とても興味深い場所になると思います。歴史に興味のある方はもちろん、興味のない方も、歴史について考えるきっかけになる場所だと思います。是非一度訪れてみてはいかがでしょうか?
場 所